ジブリ かぐや姫 物語
ヨーロッパの童話でも日本の古典でも、典型的な物語をこれほど現代的価値観に根差して描いたものはなかったでしょうね。だからこそ、人を惹きつける魅力がある作品なのだと思います。ぽつんと小さな月が画面の遠くのほうにあるだけなのですが、姫の「動」に対してあまりにも「静」かである月は、逆に目立って見えました。かぐや姫は罪を犯して月から地球へ送られた人です。地球での暮らしは「罰」でした。もっとも、姫としてはそんなことは関係なく自由に生きたかったでしょうね。しかし月は「見ている」。どこまでも追いかけてくるのはその象徴のよう。罪を忘れないように。これが罰だということ、そしていつかは帰るのだということを忘れないように。突然世界が変わったのが、幼児から少女へと変わるころ。翁は竹からあふれ出る衣や金を持ち帰っては、その「意味」について考えます。そして「姫を都へ連れて行って姫君らしい暮らしをさせること」が使命なのだと思い至ります。この翁の決断はかぐや姫にとってまったくうれしいものではなく、突如幸せな世界から切り離され、面白みのない都での暮らしが始まるのです。もうここまでで姫は「女として生きること」に絶望しているのですが、「生きていたくない」とまで思わせたのは御門でした。何度も入内しろと迫られ、姫が拒むと翁の手引きで屋敷へ。後ろから抱きすくめられたときのかぐや姫の表情は印象的でした。結局かぐや姫は生きにくい世の中に抗おうとして、敗北してしまいました。その抗おうとしたものが「女はこういうもの」という常識や社会規範です。そしてその社会の中心たる男。かぐや姫はそれに負けてしまったのでした。この映画のなかで素晴らしいなと思った描写のひとつが、この場面の月でした。かぐや姫はものすごい形相で、ものすごい速さで走り抜けていくのですが、激しさや怒りが強調された姫とは裏腹に、背後にぽつんとある月はどこまでも静かに、しかし確実に追いかけてくる。ところで、原作の『竹取物語』はどんな作品なのか、少し触れておきましょう。この映画がなぜ絶賛されたのか、それは現代社会にもつながるジェンダー問題、フェミニズムにも関わる内容だったこと。これが大きいように思えます。高畑監督の作品を振り返ってみると、『おもひでぽろぽろ』なんて本当に女性をありのままにとらえていますよね。男性なのになぜそこまで女の気持ちがわかるのか不思議なくらい。ジブリは女の子を主人公とした作品も多いですが、高畑監督の作品の女主人公はちゃんと「生きている人間」として描かれているんです。人の内面をとらえるのがすごくうまい人だなあと思います。裳着を済ませ、屋敷に大勢の貴族らを招いて宴を催した日。かぐや姫はただ飾り立てられ、人から見えない奥の奥に座っているだけ。表では大勢の人々が三日三晩騒いでいるのですが、そこにかぐや姫がいようがいまいが関係ないではないか、と思い至る。おまけに、「どれだけ美しいのか姫を見せろ」「本当はぶすなんじゃないか」と、下卑た言葉も聞こえてくる。物語では、王子様に見初められてプリンセスになることが幸せとしてよく描かれます。この『かぐや姫の物語』という作品は、その古典的なハッピーエンドに疑問を投げかけているのです。「それって本当に幸せなの?」と。原作との印象の違いは、映画が「かぐや姫の敗北・絶望」に焦点を当てたことにあると思います。広く言えばかぐや姫というか、あの時代に生きた女性の絶望なのですが。映画のストーリー展開はほとんど『竹取物語』をなぞっています。それなのになぜこうも違うのかというと、原作は「起こった出来事」を淡々と描いているだけだからです。このころの物語というのは、あまり人物の心情を細かく描きません。いわゆる「モノローグ」というものがない。だから、かぐや姫が何を思っていたのか、見えてきにくいのです。この映画のかぐや姫は、生まれた瞬間から裳着を済ませた大人の女性になるまでを丁寧に描かれています。ジェンダー問題として見るとき、あの月の人々は何なのか。おそらく、「常識」とか「社会」とかがそれにあたるのではないでしょうか。そういう意味では、月の人々は翁や都の男たちと同じですね。世界でそういう動きがある今、『かぐや姫の物語』は日本の中での嚆矢となったのではないでしょうか。原作の『竹取物語』は「ふしぎな昔話だなあ」という感じですが、この映画を観終えたときの感情ってどうでしょうか。とても悲しくて切ない。その感情は尾を引きます。筆者は子どものころ、車の窓から見える月がいつまでも追いかけてくるのが不思議でした。果てしなく遠いものほどそういうふうに見えるのだと知るのは大人になって原理を知ってからですが、ここの描写はその原理をうまく取り入れています。『竹取物語』をざっくりとしか知らない人にとっては、あの映画はただ単に原典をなぞったものかもしれません。しかし、高畑監督はあのシンプルな古典作品からよくぞここまで登場人物の感情を拾い上げてくれた。原作を知る人ならまずそこに驚き、称賛を贈ったのではないでしょうか。『竹取物語』をベースに、現代人が観て刺さるテーマ。それが『かぐや姫の物語』だと思うのです。もはやネタとなっている御門の台詞ですが、かぐや姫にとっては笑い事ではない。時の帝にこわれて入内すること。これは確かに、女として最高の名誉です。ただ、誰もが喜ぶと思ったら大間違いだよ、ということ。本当にそうでしょうか?かぐや姫が助けを呼ぶことは予定調和だったはずです。美しい衣や金を竹から出し、姫君となるよう仕向けた。これはそもそもかぐや姫が望んだ暮らしではなかったはず。すべてそうなるように仕向けられたことでした。かぐや姫は絶望を通り越して「ここにいたくない!」とさえ思い、月に救援信号を送ってしまいました。地球での生活が残りわずかだと悟った姫は媼や翁との別れを惜しみ、虫や花を愛でて幸せに暮らしたことを思い涙します。しかし、自ら助けを呼んでしまい月に帰ることになってしまった。都で貴族の姫君と同等の暮らしを始めるかぐや姫。お歯黒をしたり、眉を剃って化粧をすることに疑問を持ちます。「お歯黒をしたらおもいきり笑えないし、眉を落としたら汗が目に入る」と。月の人々からしてみたら「それみたことか」でしょう。「お前は間違っていたのだ」と。自分の人生は自分で切り開いていく。アニメーションではそういう捉え直しがされるようになってきました。最たるものが『アナ雪』。もう「幸せ=王子との結婚」ではありません。そうしてみると、私たちと同じ感覚では当時を語れないとしても、意外と「男中心の社会の生きづらさ」は同じように感じていたのではないか。そのように見えてくるのです。当時の社会とは、そういうものだったということを描いているのです。かぐや姫や翁たちがどれほど抵抗しても、月から迎えに来た天人たちはびくともしない。これは言い換えれば、当時「こんな社会は間違ってるよ」とはみ出した人がいても、どうにかなるわけなかったよね、というたとえです。女であるというだけで、美しいというだけで、記号・物として扱われる。そこに「自己」があるかどうかは関係ない。翁にとって、そして彼らにとって、そこに「美しい姫」があること。それだけなのです。この激しい怒りは、自分が物として扱われたことにあったのだと思います。最初は遠くに小さくあるだけだった月は、最後姫が倒れこんだときには大きくなっています。怒りと悲しみに震える姫の激しさよりも、白く穏やかな月こそが恐ろしい場面です。最後、地球を振り返ったかぐや姫は記憶がないはずなのに涙します。絶望してもなお、本当はそこにいたいのだと思う何かがあること。それもまた切ないのです。かぐや姫は特別な存在なので、ちょっと習えば筝の琴だってすぐに完璧に演奏してしまいます。手習いも同じ。無味乾燥な暮らしの中で唯一見つけた楽しみが、小さな箱庭づくりでした。媼もかぐや姫と同じように都での生活になじめず、表では着飾って裕福な奥方をやっているものの、奥ではひっそりと昔のような暮らしをしているのです。そういう人が作ったからこそ、『かぐや姫の物語』は古臭い物語ではなく、今の私たちにも響く生きた物語となったのでしょう。かぐや姫は、この考えがはっきりしていました。本当は都で暮らしたくないし、化粧をするのも嫌。姫の美貌のうわさを聞きつけてやってきた5人の貴公子たちにも、無理難題を突き付けて追いやろうとしますね。『かぐや姫の物語』に限らず、近年では大昔からある古典作品のとらえなおしが進んでいます。例えばディズニーの『アナと雪の女王』もそう。よく見直すと『美女と野獣』や『リトル・マーメイド』あたりからその片鱗はありましたが、もう「待つ女」の物語ではなくなりました。「いつか王子様が」なんて曲まである『白雪姫』とは対照的です。幼いかぐや姫、成長が早いので「タケノコ」と呼ばれますが、野山で育ったため外を駆け回るのが大好きな子どもでした。映画のオリジナルキャラクターである捨丸兄ちゃんたちと遊ぶのが好きで、このころのかぐや姫にとって世界は輝いて見えていたでしょう。もともと「虫めづる姫君」自体が「かぐや姫」の系譜にある作品なのですが、『かぐや姫の物語』はそれを逆輸入した形ですね。
故・高畑勲監督が手がけたスタジオジブリ作品「かぐや姫の物語」が5月18日(金)21:00~日テレ系の金曜ロードショーで放送されます。 今回は「かぐや姫の物語」と原作である「竹取物語」の違いについて調べてみました。 原作にこんなシーンあったっけ? 映画【かぐや姫の物語】の主題歌 「 いのちの記憶 」 作詞・作曲・歌 二階堂和美.
高畑勲、『かぐや姫の物語』をつくる。~ジブリ第7スタジオ、933日の伝説~ アニメーション映画監督・高畑勲。その14年ぶりの新作『かぐや姫の物語』の制作現場に約2年半にわたって取材。 その制作過程と高畑演出の現場を明らかにする。 ≫楽天で詳細を見る !」は男子バレーボールを舞台にしたスポーツ漫画で...『ハイキュー』の春高バレー本戦では優勝候補の強豪・稲荷崎高校が...ウェブサイト「読解アヘン」で公開されているウェブ漫画「堀さんと...赤ちゃんはすくすくと育ち、半年あまりで少女へ成長します。映画オリジナルのキャラクターである少年捨丸(すてまる)を始めとする、近隣の子どもたちと大自然でのびのびと遊びながら、天真爛漫に育っていきました。ちなみに「かぐや姫の物語」の劇中歌「わらべ唄」や「天女の歌」も高畑勲監督が作詞作曲をしています。 11月23日、スタジオジブリ最新作『かぐや姫の物語』がいよいよ公開! 原作『竹取物語』の裏設定が映画のテーマとか。そこで今回は、『かぐや姫の物語』の公開を祝して、誰もが知る有名な海外3作品にま …
ジブリ作品の映画「かぐや姫の物語」が地上波放送されます! 日本テレビ系 2018年5月18日(金)21:00~23:49. 2013年秋に公開されたスタジオジブリのアニメーション映画、高畑勲監督の『かぐや姫の物語』について考察します。キャッチコピーは<姫の犯した罪と罰>。一瞬ドキリとするこの言葉は一体どういうことなのでしょうか。高畑勲監督がこの作品に込めた想いとは。 Posted on 2013/11/28 スタジオジブリ作品 高畑勲監督 最新作「かぐや姫の物語」。主題歌「いのちの記憶」は二階堂和美さんの澄んだ歌声が印象的です。そして映画本編で印象的に使われている「わらべ唄」と「天女の歌」は、なんと高畑勲監督自身の作詞・作曲です。 2013年の公開から5年が経っても視聴率2桁を維持しています。 アニメ作品概要 『かぐや姫の物語』(かぐやひめのものがたり)は、『竹取物語』を原作としたスタジオジブリ制作の日本のアニメーション映画。監督は高畑勲が務める。 ジブリ映画『かぐや姫の物語』の動画を見たいと思っているあなた! 「どこで動画を見たらいいのかわからない」と思っていませんか? これから、無料で安全にジブリ映画『かぐや姫の物語』のフル動画が見られるサイトをご紹介します。
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