奉ずる 意味 山月記

奉ずる 意味 山月記

山月記とは. ただ個人的に思うのは、虎になっても結局人の性質って変わらねえってところが山月記のもっとも遣り切れない、哀れなポイントで、凹むところだなあと思うのです。いや受け入れるべきだと思うのです。なんなら積極的に感想を仰いで、どうかな、俺の渾身の作なんだけど、もう俺虎だし、ダメだと思ったら君が引導を渡してくれ、くらいのことを言っても良いと思う。内面の傲慢と臆病によって人生が崩壊した李徴のストーリーからはそういった教訓を得るのが一番それらしい気がします。なぜ虎になった?なぜ虎だった?と問われれば、「臆病な自尊心」とか「尊大な羞恥心」とかってワードを引き合いに出し、詩作に執着する上で人としての心を失った様を指して、象徴としての虎、と答えるのが普通ではないでしょうか。巧いけど微妙に何か足りない、と言われるのは、芸術分野を志す人にとってはめっちゃくちゃ怖いところですよね。虎になる不思議を経験したのだから、人に戻る不思議だって信じて良かった。ブログのテーマは「人間と人間の関係、人間と場所の関係が作り出すもの」です。結局詩の道の頓挫も虎への変化も李徴の「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」が招いた結果であるという分かりやすい説明に堕ちており、詩作の権化となったわけじゃなかった。別に普通に面白かったよーって言ってもらえても、すごい!とは言われない。そういう、手応えの無さを感じている実作者やクリエイターは多いのではないでしょうか。虎にならなっちゃ無理だよな、時代が味方すればまだチャンスがあったかもだけど、虎になっちゃったからな、って思えますもんね。ってことは、袁傪の感覚って一般市民よりかなり高いレベルで、かつ詩作で食っていこうと思うような芸術肌ではない、多分世にも稀な信頼できる一般人(教養人)の感覚なんです。自分はプライド高すぎたから詩で成功できなかったし、こんな自己中だから虎になんてなるんだよな、って言うけど、詩で成功できなかった理由探しをしているように見える。だからまったくの素人が無責任に「なんか足んない」と言ってるわけじゃない。テストなら100点。だけど満点ってだけなんだよな、という、詩を芸術として吟味する感覚を持ち合わせていたと思います。僕らはいつも知らないものに出会いたいですよね。もしくは知ってるつもりだったけど分かってなかったこととか、言われてみればそうだ、ということとか。ちなみに詩作に関してですが、袁傪もまた李徴のように地元では神童とうたわれるほどの秀才だったのではないでしょうか(李徴が神童と言われてたかどうかは分からんけど多分そうだろう)。だから李徴が虎になる、という部分は決まっていたことではありますが、山月記の文脈において、李徴が変身したのが虎だったということにはいろいろと表れていると思います。僕が感じているのは「人間止めてまで成り下がったものが人のよく知るところである虎だった」という点が致命的だったんじゃないの?ということです。山月記って自尊心とか羞恥心って自分の身を滅ぼすだけだよね、みたいな教訓に落ち着くことが多いと思います。ついでに言えば、虎に成り下がったおかげで詩作で成功するという道を諦めなければならなくなったことに安心すらしてんじゃないの?って思います。虎になってもなおかつてのように接してくれる友でさえも見下していたのではないかと思うのです。本当は心から賞賛され、実作者不明であっても歴史に残る名文だと世の人々の評価を得たくないわけないと思う。よく書けてると思う。だけどなんかこう、響いてくるもんがないんだよね、という感想って本当に辛いだろう。反省しているに違いないのです。自分のダメだったところ、こうすれば良かったことを思い知ってるに違いない。ってなに!?ってことがまず一つ。「どこか非常に微妙な点において欠ける」ってなんだよ!李徴もそれが何なのか知りたかっただろうなと。袁傪が頭で考えたのはそういう人に対する評価。巧いけど何か足りない。実力があるのは間違いないのだけど、プロとしてはやってけない気がするなあ、言わないけど。李徴は虎になり、自分がいかに傲岸不遜な態度を撮り続けていたか、いかなる他人も見下し謙虚になることなく、師を仰ぐでも仲間と研鑽をつむでもなく、プライドが邪魔をして、そんな基本的なことさえできていなかったかを悔やみます。俺ってこういうところダメなんだよな、分かってるよ、狂ってるんだよ、人でなし×自尊心=虎ってことだろ?って自嘲的に言っておきながら、そういう自分を諦めて、満足していると思わないでしょうか。謙虚に仲間から学んで素直に師を仰いで自分なんてまだまだ……って言ってる人よりは、多少傲慢でも自分にしか書けないものがあるんだよって人の作品を読みたいですね僕は。詩作のために「悪魔」になるとか、奇っ怪な概念となり人の世を睥睨するとか、その域までいけばよかった。人の理解の及ばないレベルにまで達すれば良かった、かもしれない。もしただの不運で虎になってしまって、実力があるのに不遇な扱いを受けていると思える詩の出来なら「いやこれ俺が取り次いで絶対出版させるよ!これヤバいよ!見つかってないのが不幸なだけで君は今からでも詩人になれる!」くらいの励ましをしても良かった。小説を書きます。コミュニティスペースと民泊の運営をしています。それどころか話を聞けばなんか共感できるような、同情したくなるような感じさえする。それどころか、それは結果論であって、プライドや傲慢さ、過剰なまでの自分への自信がないとそれこそ詩の道をはじめ芸術の道って成り立たないんじゃないのかとすら思う。また科挙試験に合格しているとしたら、一定以上の教養として詩作能力も身に付けており、モノを見る目もあったはずです。だから、生まれ持った性質が悪かったから失敗したというより、単純に李徴が哀れな男だったんだな、という感想です。せっかくのキャリアをなげうって挑戦したのだから成功したら良かったですよね。プライドや羞恥心が足を引っ張ることがあるのは誰でも知ってると思います。寓話めいた作り話にわざわざ込めるような教訓じゃないと思う。人間じゃなくなるという劇的な展開にありながら、底が知られてしまう(所詮虎)、ということそのものが、李徴の詩そのものを表してるんじゃないでしょうか。僕は受け入れられないと思う。たちまち理性を虎に明け渡し襲ったかも。 自分は虎であり君を怖がらせてしまうからという、李徴の精一杯の虚勢を張った答えを用意したのでした。そうとは知らず李徴は袁傪たち一行を闇の中で襲って、食べ物と着るものを奪おうとしたのでした。そして今のこの想いを即席の詩にして袁傪たち一行に聞かせたのでした。その詩には天才李徴の弱さや悲しみが込められていました。李徴がこの詩を朗読している間、袁傪たち一行は静かに聞いていました。李徴の詩を聞いていた人々の目には涙が光っていたことでしょう。もう本物の虎が目の前にいるとは誰も感じてはいませんでした。K君はなぜ死を選んでしまった2009.06.23 Tuesday 10:22夏目漱石の「こころ」を初めて読んだのは、比較的最近のこと...先生が何故自殺をしてしまったのか2009.06.23 Tuesday 10:27小説「こころ」の中でK君の自殺の原因としていろいろな...李徴の体は震え、口は乾き、気が遠くなりそうな恐怖の中、李徴は必至に策を練ります。こうした袁傪の好意に応え、李徴は自分が作った詩の書き取りを袁傪にお願いしました。心の内なる声に導かれて林の奥深くに入ってしまった李徴でしたが、その後袁傪と出会うまでのおよそ1年間は誰にも会うことなく、いったいどうしていたのでしょうか。中島敦の小説「山月記」では、主人公の李徴が虎になってしまったことになっています。もちろん現実には人間が虎になることなどあり得ません。...人間が虎になるなどという奇想天外な話だったのですが、李徴の友人でありかつ心優しい袁傪はその話を素直に受け入れてくれたのでした。しかし袁傪の感じた「欠けているところ」はすぐに明らかになるのでした。李徴は残された家族のことを袁傪に頼んだ後、帰路には袁傪がここを通らないよう頼みました。臆病な自尊心の壁を突き抜けて、李徴の生身の心が人々の前に現れた瞬間でした。「何故叢から出てこないのか?」という袁傪の当然の質問に、用意した答えは次のことでした。林の奥深くに入り岩窟の中に暮らした李徴でしたが、やがて気づくと激しい空腹感に襲われました。しかしもはや食料は手元にはありません。小さな動物や植物を見つけて食べるしかありません。ある時などは偶然目の前を通ったウサギを捕まえて食べたこともありました。髪はボサボサ、ヒゲはぼうぼう、その風貌はまるで虎のようで、いつしか李徴は人々から「人食虎」と呼ばれるようになっていました。袁傪たち一行が再びこの道を通った時には、李徴の現在のみじめな姿を再び隠し通すことはもうできないことを知っていたからでした。と評しましたが、袁傪が感じたと言う「欠けている」ものとは何なのか。天才李徴の行動を辿りながら見ていきました。李徴の林の中でのこれまでの動物のような野蛮な行動や、徐々に人間としての心が失われて行く恐怖、自分が何者だったのかさえ分からなくなる恐ろしさなど、李徴の悲しみや苦しみ恐怖を、袁傪はじっと聞いてくれました。こうして頭の中にまだ残っていた詩を読み上げる李徴の声は朗々と響き、その詩も格調高く優れていて、作者の才能を袁傪に感じさせるものばかりでした。ところがところが、奪おうとした相手の顔を見ると、何とそこには友人袁傪の顔があったのでした。着るものはといえば、夜その林の中を通る旅人を闇に紛れて襲っては、食料と一緒に奪い取ったものに頼るしかありませんでした。そして袁傪たち一行は李徴のお願い通りに、遠く丘の上まで行った後に振り返ってくれたのでした。そこには天才過ぎたがゆえに人生を狂わせてしまった李徴の、悲しい運命と人生が描かれていました。中島敦の小説「山月記」の中で、李徴は虎になってしまいました。李徴はどうして虎になんかなってしまったのでしょう。ここでは...もはやかっての美少年李徴の姿は見る影もなく、自尊心の強かった李徴にとって、このままで人前に姿を表すことなどとてもできないことでした。昔李徴が作った格調高い詩の朗読が終わると、話はみじめな現在の李徴のことに移りました。精一杯の虎の声での挨拶は、李徴最後の尊大な羞恥心によるものでした。太宰治の小説「人間失格」の主人公「大庭葉蔵」こと葉ちゃん、いろいろダメ人間みたいなことを言われることも多いみたいですが、京橋のバアのマダムに...お嬢さんの人生と生きがいは2009.06.23 Tuesday 10:24夏目漱石の小説「こころ」の中のお嬢さんはどのように先生に接...芥川龍之介の小説「羅生門」には下人と老婆の2人が登場し、あるやり取りが行われました。このやり取りを通じて人間の本質を探ってみましょう...ホッとした李徴でしたが、うかつにも「あぶないところだった」という声を出してしまい、その声が袁傪に聞こえてしまったのでした。かっての天才で美少年だった李徴がこんなところで野獣のような生活をしていることなど袁傪に知られたら大変です。李徴は大慌てで草むらの中に逃げ込みました。みじめに落ちぶれてしまった今の姿は何があってもかつての友には見せられない、強い李徴を演じる必要があったのです。袁傪はかつての友李徴に対して、姿は見えなくても懐かしく話しかけました。そして李徴の語る言葉にじっと耳を傾けてくれたのでした。そんなある日、李徴のいちばんの友人だった袁傪たち一行が夜明け前の林の中を通ったのでした。

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